【寄稿】国際博覧会を語る MICE・展示会業界にとってのビジネス・チャンスとは 桜井 悌司 氏_前編

2025年には大阪・関西万国博覧会が開催される。万国博覧会や国際博覧会と言えば、1970年の大阪の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」(大阪万博)、比較的最近では、愛知県で2005年に開かれた「日本国際博覧会」(愛・地球博)を思い出すことであろう。この2つの博覧会以外にも、1975年に沖縄で行われた「沖縄国際海洋博覧会」、1985年筑波で開催された「国際科学技術博覧会」がある。日本は、博覧会大国なのだ。海外での国際博覧会の参加においても、常に高評価を得ている。

それにも拘らず、万国博覧会や国際博覧会について、十分な知識を持っている人が少ないようだ。展示会やMICE業界の関係者についてもしかりである。そこで、本稿では、展示会やMICE業界の関係者にわかりやすく、万国博覧会・国際博覧会について説明するとともに、業界関係者にとって、今度の2025年大阪・関西万国博覧会が、どのようなビジネス・チャンスがあるのかを紹介したい。なお、このレポートは、あくまで個人の意見である。

▽1.国際博覧会の簡単な歴史

万国博覧会・国際博覧会の由来と言えば、人類の交易が行われた古代の「市」に始まると言われているが、国家行事として、体系的に開催されるようになったのは、1851年の「第1回ロンドン万博」が最初である。ハイドパークが会場であったが、水晶宮(クリスタル・パレス)で来場者を驚かせた。その後、国威発揚と産業振興のために、フランス、オーストリア、米国等に広まった。ロンドン万博以降、1900年までに、パリで5回、ロンドンで2回、ダブリン、ウィーン、アントワープ、エジンバラ、バルセロナ、グラスゴー、ブラッセル等の欧州、ニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴ等の米国、シドニーやメルボルンの豪州で開催された。パリが最も熱心に万博を組織したことが理解できよう。

では、万博は人類にとって何をもたらしたのであろうか?主要な展示品・モニュメントを紹介する。その時々の最新技術や製品を展示紹介することによって、世界に大いに貢献してきたことが理解できよう。

* 第2回ロンドン万博〈1862年〉 ベッセマ―式製鋼法、バベージ計算機
* フィラデルフィア国際博〈1875年〉 スチーム・エンジン、ベルの電話機、タイプライター、計算機、電動モーター
* 第3回パリ万博〈1878年〉 エレベーター
* 第4回パリ万博〈1889年〉 でエッフェル塔を建設、自転車、ガソリン自動車、小型電車、夜間照明
* パリ万博〈1900年〉 地下鉄の開通 花の都パリのイメージ確立 植字機械、映画装置、レントゲン撮影機、熱気球、実験段階の飛
行機、蒸気による発電機、等々である。

日本が、万博に初めて参加したのは、1867年の第2回パリ万博であった。徳川幕府と薩摩藩、鍋島藩が日本を代表する地位を争いながら出展した。日本が初めて公式に参加したのは、1873年のウイーン万博であった。日本の選りすぐりの工芸品、絵画等が出展
され、ヨーロッパにジャパニズムを普及させたことは良く知られている。

20世紀になってからも、2017年のアスタナ国際博覧会までに大小含めて61の国際博覧会が世界の広範囲な国々で開催されている。(平野暁臣氏著「万博の歴史」参照のこと)
20世紀以降の万博開催地には、開催国・開催都市の広がりが見られる。例えば、アジアでは韓国が2回(大田、麗水)、中国が1回(上海)、スペインが2回(セビリャ、サラゴサ)、イタリア3回(ミラノ、ジェノア)、ポルトガル1回(リスボン)、ドイツ1回(ハノーバー)、カザフスタン1回(アスタナ)、米国14回(サンフランシスコ、ノックスビル、ニューオルリンズ等)、カナダ2回(モントリオール、バンクーバー)、オーストラリア1回(ブリスベーン)等々である。
今後2025年までに予定される万国博覧会は、ドバイ万国博覧会〈2020年、アラブ首長国連邦〉、ブエノスアイレス国際博覧会〈2023年、アルゼンチン〉、大阪・関西万国博覧会(2025年)である。

 

▽2.国際博覧会の種類

1) 国際博覧会条約と国際博覧会事務局(BIE)
博覧会は、国際条約に基づき開催されるイベントである。1928年に制定された「国際博覧会条約」の運用と保証の確保を目的として、同年、国際博覧会事務局(BIE:BureauInternational des Exposi-tions)がフランスのパリに設立された。その機能は、国際博覧会の開催計画の審査と開催の承認、並びに博覧会の運営について指導、助言及び監視することにある。現在、条約加盟国は、170カ国で、事務総長は、スペインの外交官出身のVicente Gonzalez Loscertales氏である。

今まで、「万国博覧会」と「国際博覧会」という言葉を使用してきたが、条約や博覧会事務局(BIE)では、「国際博覧会」という言葉を使用している。したがって、「国際博覧会」の中には、「万国博覧会」と「国際博覧会」の2つの博覧会が含まれると理解できよう。最初の「万国博覧会」は、後述する大型の一般博覧会(現在の登録博覧会)で、その他の小型の特別博覧会(現在の認定博覧会)を「国際博覧会」(名称は博覧会によって異なる)と考えるとわかりやすい。

2) 登録博覧会と認定博覧会
1988年に、国際博覧会条約の改正が行われた。その背景には、1960年代に4つの博覧会、70年代には、大阪万博を含め3つの博覧会、80年代には5つの博覧会が不規則に乱立して開催された。国際博覧会は、主催するにせよ、参加するにせよ巨額の経費がかかる。そこで、BIEは、「登録博覧会」と「認定博覧会」という考えを導入した。

「登録博覧会」は、従来の一般博覧会と特別博覧会のカテゴリーを一本化して、会期が6ヶ月以内の国際博覧会をいう。5年に1回開催される。主催国が参加国にパビリオン建設地を無償で提供し、原則、参加国が自分たちの経費でパビリオンを設計し、建設する。テーマは普遍的なもので、会場面積は無制限となっている。

「認定博覧会」は、5年間隔で開催される「登録博覧会」の間に、1回に限り開催が認められる国際博覧会で、会期を3ヶ月以内、会場の総面積を25ヘクタール以内として、展示館の建物は開催国が建設し、各参加国には、最高1000平米を限度として無償でスペースを提供することを義務付けた国際博覧会を言う。テーマは専門的なもの。

要するに、大型の一般博覧会に当たる「登録博覧会」はオリンピックのように、5年に1回開催し、その間に、1回に限り、小型の特別博覧会に当たる「認定博覧会」を開催できるようにしたのである。この分類から言うと、70年大阪万博は、「登録博覧会」で、沖縄海洋博、筑波科学技術博、愛・地球博はすべて「認定博覧会」(特別博覧会)となる。

3) オリンピックと万国博覧会
オリンピックと万国博覧会の相違表を下記に紹介する。故堺屋太一氏は生前、万博の組織は、オリンピックの10倍の手間暇がかかるということをよく発言していた。10倍が正しいかどうかはわからないが、オリンピック以上の経費、業務量が生ずることは、筆者の経験上でも間違いないと思われる。

現在までに、オリンピックと国際博の両方の大イベントを開催した国は、米国、カナダ、英国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギー、オーストリア、フィンランド、オーストラリア、日本、韓国、中国の14カ国のみである。

発展途上国や新興国の中から、国際博覧会立候補国が出てきているのが最近の傾向である。2015年ミラノ万博の時は、トルコ、2020年ドバイ万博の時は、ロシア、トルコ、ドバイ(ブラジルのサンパウロとタイのアユタヤは途中撤退)、2025年大阪・関西万博の時は、ロシア、アゼルバイジャン(フランスのパリは途中で撤退)が立候補した。また参加国としても、中東のアラブ系の国々の出展が存在感を示すようになっている。