万国博覧会・国際博覧会を知ろう① 寄稿・桜井 悌司(元ジェトロ監事・展示事業部長)

2020年初めに、本紙で「国際博覧会とMICE・展示会業界にとってのビジネス・チャンス」というタイトルで執筆した。その中で国際博覧会に係る様々なテーマにつきざっと紹介した。昨今マスコミでは、「大阪・関西万国博覧会」の準備の遅れが頻繁に報道されている。開幕日まで600日を切ったこともあり、改めて国際博覧会について紹介し、読者の理解に供することができればと考えた。なお本稿の内容は、すべて筆者個人の意見である。


◆万国博覧会・国際博覧会の簡単な歴史
万国博覧会・国際博覧会の由来は、展示会見本市と同様、人類の交易が行われた古代の「市」に始まると言われているが、国家行事として、体系的に開催されるようになったのは、18
51年の「第1回ロンドン万国博覧会」が最初である。その後、国威発揚と産業振興のために、フランス、オーストリア、米国等に広まった。ロンドン万博以降、1900年までに、パリで5回、ロンドンで2回、ダブリン、ウィーン、アントワープ、エジンバラ、バルセロナ、グラスゴー、ブラッセル等の欧州、ニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴ等米国、シドニーやメルボルンの豪州で開催された。フランスが最も熱心に万博を推進したことが理解できよう。

では、万国博覧会・国際博覧会は人類にとって何をもたらしたのであろうか? 主要な展示品・モニュメントを紹介してみよう。その時代の最新技術や製品を展示紹介することによって、産業革命を推進し、人類の生活の向上に貢献し、産業・技術開発の発展、観光の振興等に大きな役割を果たしてきたことが理解できる。
産業面のみならず、庶民生活の観点からみても、デパートやショー・ウインドーなども万博・国際博が生み出したものである。国際博覧会の役割も時代とともに変化してきたが、徐々に博覧会のテーマが重視されるようになった。初めてテーマを設定したのは、1933年のシカゴ万国博覧会で、「進歩の一世紀」であった。未来志向に転換したのは、1939年のニューヨーク万国博覧会で、そのテーマは、「明日の世界」であった。それ以降、未来に関するテーマが多くなった。

日本が、万博に初めて参加したのは、1867年の第2回パリ万博であった。徳川幕府と薩摩藩、鍋島藩が日本を代表する地位を争いながら出展した。NHKの大河ドラマでも取り上げられた。日本が初めて公式に参加したのは、1873年のウィーン万博で、日本の選りすぐりの工芸品、絵画等が出展され、ヨーロッパにジャポニズムを普及させたことは良く知られている。その当時、日本の優れた工芸品などを多く展示した。博覧会で展示された彫刻、陶磁器等の展示品のいくつかは上野の東京国立博物館に行けば、見ることができる。

20世紀に入ってからも、2021年のドバイ万国博覧会までに大小含めて62の国際博覧会が世界の広範囲な国々で開催されている。(平野暁臣氏著「万博の歴史」参照のこと)20世紀以降の国際博覧会開催地には、開催国・開催都市の広がりが見られる。例えば、アジアでは、韓国が2回(大田、麗水)、中国が1回(上海)開催したし、最近ではカザフスタンのアスタナ国際博覧会、アラブ首長国連邦のドバイ万博に見られるように新興国でも開催されるようになっている。
日本は、1970年日本万国博覧会(大阪万博)を皮切りに、1975年沖縄国際海洋博覧会、1985年国際科学技術博覧会(筑波)、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)と4回の開催実績がある博覧会大国である。今度の大阪・関西万博は5回目の挑戦である。

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2005年日本国際博覧会(愛・地球博)
2005年日本国際博覧会(愛・地球博)