「あれができたら面白い」を大切に。 最高のエンターテインメント空間をつくる

「あれができたら面白い」を大切に。
最高のエンターテインメント空間をつくる

コマデン 代表取締役 古田島 康 さん

――透過型LEDディスプレー「シースルービジョン」は、舞台やイベント演出の世界に革命的なビジュアル表現を生み出しました。どんなきっかけで開発したのですか

古田島 96年の春、私が視察で行ったラスベガスのあるショッピングモールで、巨大な天井一面を電球で覆い、映像を出している仕掛けを見たんです。これをLEDでやったら面白いだろうなと考えたのがきっかけです。これまで培ってきた電飾技術の延長ですけどね。でも「こんなことができたらおもしろい」という現場のニーズやイマジネーションをカタチにしようという姿勢は、全社員の精神に流れているコマデンの伝統です。

――格闘技イベントやコンサートの舞台など、コマデンの仕事を見れば、みなさんの武器が実はハードではないことがわかります。CGを駆使したコンテンツ制作もやり、これに照明や音響も複雑に絡み合わせて、シースルービジョンのパフォーマンスを最高の表現で仕上げる。そのエンターテインメント空間をつくることへの、スタッフの情熱とプロ意識がすごいなと。最新のLEDも、もはや単なる道具でしかないのだと感じさせられます

古田島 作り込みとオペレーションはコマデンの核とも言えますね。「エンターテインメント空間を通して人々に最高の夢と感動を伝え続ける、エンターテインメントデザインのプロ集団を目指す」という企業理念を掲げていますが、その根底にあるのは、やはり「ユーザーの想いをカタチにする」という創業以来の精神なんです。

――コマデンがエンターテインメントの世界で仕事をするようになったきっかけは

古田島 私の父である先代が取引先のつてで、宝塚や日劇の電飾をつくったのが最初です。それまでは町の電気工事屋でした。母と二人で、家でコツコツとつくっていたのをおぼえています。神谷町の職場から日比谷まで、自転車で荷物を運んでいましたね。私もよくついて行きました。現場はいろんな人がいて、怒鳴り声も飛び交って、戦争みたいな世界でしたね。それからテレビ局からも声がかかるようになって、テレビのカラー化とともに電飾の仕事が注目されるようになったんです。

――古田島社長はずいぶんお若くして、会社を継いだのですね

古田島 25歳(1985年)のときです。父が亡くなって。仕事そのものは、子供の頃から間近に見てきたから面白いと思っていましたが、入社しようとは思っていませんでした。現場のヤクザみたいな人たちをまとめるなんて絶対ムリだと(笑)。
でも、父と社員の築いた土台がありましたから、現場が混乱することも金策に走ることもなかったですね。まわりが支えてくれたんです。

――それからもコマデンは飛躍的に成長しています

古田島 この頃はLED屋になっちゃってる。確かに売上は上がりましたが、ハードに頼りすぎて、コマデンらしさが薄れているのではないかと自問しています。
昔は「こういうことをやりたい」「あれができたら面白い」というのが先にあって、演出家さんやデザイナーさんと議論しながら舞台をつくっていたのに、最近は「こんな商品あるけどどう」みたいに、道具ばかり探してクリエイティビティがなくなっているなと。
コマデンだけでなく、業界全体もそんな方向に行っているように感じます。

――確かに、透過型LEDディスプレーを例に取れば、いろんな会社が参入して値段も下がっていますよね

古田島 テクノロジーは真似されると(市場に拡がるのが)早いんです。特にデジタルの世界は、技術があれば誰でもできちゃう。だからわれわれは、ハードばかり考えていては生きていけないんです。クリエイティビティを疎かにしたつもりはないですけど、このところLEDの勢いに引っ張られすぎた感があります。

――ハードを真似されても、技術と演出力でカバーできるのがコマデンの強みでは

古田島 いまはなんとかあると思います。それは舞台やテレビ、そのなかでも最高峰の空間づくりの世界で、ずっと仕事をしてきたことで培ってきたものです。クオリティを重視する演出家さん、デザイナーさんたちととことん付き合い、彼らのイメージをカタチにし、観客の感動を生み出してきたというプロ意識です。
これからは、夢を追いながら、どうビジネスにくっつけていくかをじっくり考えたいですね。いまはその原点に戻るチャンスだと思います。

――コマデンが魅せる、次のエンターテインメントの世界を楽しみにしています

「見本市展示会通信」2009年3月1日号掲載