【トップ対談】設立50周年を迎えて
~映像センター

年6月に設立50周年を迎えた映像センター。映像機器・システムの販売事業にはじまり、1980年代には現在の主力であるイベント映像事業を本格化し、経営基盤を強化してきた。今後は映像だけにこだわらない新たなコミュニケーションツールの模索・創出に意欲的な姿勢を見せる。代表取締役社長・尾﨑求氏と相談役・髙嶋宏昌氏に50年を振り返ってもらうとともに、今後の展望を聞いた。

映像センター 画像


 

■波瀾万丈の50年

―設立50周年おめでとうございます。どんな感慨を持たれていますか

髙嶋 よくここまでやって来られたなという気持ちです。当社は大沢商会の教育機材部の子会社として「東京AVセンター」の名前で設立され、その後「大沢映像センター」に社名変更し、大沢商会の倒産を機に、株式を買い取り、現在の「映像センター」として独立しました。設立時5、6名の本当に小さな会社から、現在の260名強の規模になり、会社として大きく成長できたと実感しています。

尾﨑 私は入社して30年ですが、先輩達が積み重ねてきた歴史を受け継ぎ、50周年という区切りの年に、この場にいられるということは非常に意義のあることだと感じています。社長として、映像センターという会社の歴史や映像業界の流れを思い起こし、改めて今後の方向性を見つめ直す良い機会にもなっています。

―これまでの歩みを振り返る中で、特に思い出深い出来事は何でしょうか

髙嶋 やはり親会社が倒産したときは驚きました。1984年ですから34年も前になりますが、当時私は、大沢商会からの出向で社長を務めていました。当時の大沢映像センターは、東京・大阪・名古屋に拠点を持ち、32名の組織でした。一般的に、親会社が潰れると子会社も一蓮托生と言われますが、これからどうしようか、と当時の社員たちと相談したら「この仕事を続けたい」と言ってくれる人が圧倒的に多かったので、株を全て買い取って独立することに決めました。しかし、破産管財人である裁判所から許可をもらうのにはかなり苦労しました。ただ、一緒に仕事を続けてきた仲間がこの仕事を続けたいと言うなら、当時の社長であった私はそれに応えなければならない、その一心で交渉を重ね、独立しました。

尾﨑 私は、2014年に前社長が急死し、急遽、社長を引き継ぐことになったことですね。私はイベント部門の出身ですが、2005年から10年近く中国で現地法人の立ち上げや中国市場の開拓に取組んでいました。その間、中国経済の変化・国際情勢の変化によって当社の中国ビジネスも、幾度となく大きな波にもまれ続けてきました。それでも広州・上海・北京に拠点を持ち、イベントビジネスに加え設備・販売ビジネスにも取組み、国内と連携しながら海外ビジネスの拡大を図ってきました。

映像センターの立ち上げとは歴史や中身は異なりますが、異文化の中での海外ビジネスの取組みは、会社だけでなく私個人としても立ち上げの苦労を通じて、成長の糧となっていると感じます。その最中に急遽、帰国することになりましたが、正直、日本に戻ることになったときは少し悩みましたね。長く中国で仕事をし、国内の実務からは少し離れた環境であったため、浦島太郎とは言いませんが、自分自身の感覚のギャップを埋めるのに少し時間がかかりました。
特に社長就任1年目は自分の立場も一気に変わり、環境に慣れていくことに苦労しました。

 

■感謝と期待

―50年の節目を迎え、社員に伝えたいことを教えてください

尾﨑 会社としては50周年ですが、私自身の会社での生活は30年で、私以下の社員にとって自身の会社の歴史はもっと短い。だから50年と言っても、あまりピンとこない人もいると思います。ただ今回をきっかけに、50年の歴史がある会社であることを認識して、プライドをもち、「映像センター」のブランドを大切にしてもらいたいと思っています。自社の良さは意識して考えてみないと案外気付きづらいものですから。

そして何より50年を積み重ねてくださった多くの先輩・関係者の方々に感謝をしつつ、現在頑張ってくれている社員はもちろん、それを支えてくれている家族に対しても感謝しています。今この時を頑張り、さらに歴史を積み上げていくのは社員一人一人の力なので、期待しています。

髙嶋 50年の中で多くの方と出会い、様々な形で助けていただきました。社員、ご家族、協力していただいた関係者の方々や取引先の方々に恵まれてここまで来られたと感謝しています。
加えてせっかくここまで来られたのだから、これを契機にさらに新しいことにチャレンジして進んでほしいという希望はあります。昔はひとつの事業で長い期間食べていくことができましたが、今は時代の変化が激しいので若い人を含めた皆さんの知恵と行動が必要です。持っている個性を活かしてのびのびと働いていただきたいですね。それを会社の中で活かしていけるかどうかは上司の指導次第だと思います。

尾﨑 髙嶋さんと同意見ですが、もっとチャレンジしてほしい思いは強いですね。そして付け加えるなら、もっと元気に。最近あまり耳にしなくなりましたが、「大きいイベントの演出がしたい!」とか「歴史に残る仕事がしたい!」といったストレートな夢を口にするような元気さというか、たまにそういう想いの強い人に会うとうれしいですね。今の若い人を見ていると、そのような強さでもっと夢を表現しても良いのにと感じます。

昨今ビジネスに限らず組織運営の点で、指導方法などが大きな話題になっています。確かに私より10年程度若い人たちはまだ、強引なやり方でも付いてきてくれたのですが、その下の世代は同じやり方では通用しませんし、そういう時代でもありません。自分が納得した上で仕事をしたいと考えている人が多いように感じますし、改めてコミュニケーションの大事さを感じます。これからも時代・環境・価値観の変化にしっかり対応していく術を身につけて指導していくことが後輩・部下を持つ先輩社員や上司への期待ですね。

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■イベント業界での役割

―今後注目している物事についてお聞かせください

髙嶋 テクノロジーはこの50年で大きく進化し、私達が16ミリ映写機やスライド映写機を販売・レンタルしていたのが遠い昔のように感じます。その中で映像というものは最高のコミュニケーションツールです。人が何かを伝えるというコミュニケーションは永久に廃れないので、その中でどういったものがより効率的で、より印象づけられるかを考えていく必要がありますね。イベントレンタルがビジネスとして確立してきた歴史は40年にも満たないのです。その中で、イベント業界を活性化するために「日本映像機材レンタル協会(JVRA)」が組織され、当社も草創期から参加させていただいています。このように、自社のためだけではなく、競合でありながらも、共に切磋琢磨しながら業界発展のために協力し合って進んでいくことが、業界全体の繁栄の道だと思います。

尾﨑 当社がスローガンとして掲げる「AVC Sys- tems For Better Communication」には「より良いコミュニケーションを通じて常にお客様に喜んでもらえること」という信念が込められています。今はオーディオ・ビジュアルだけではなく、コンピュータやインターネットも含まれていますが、映像センターとしてはそれらの手法自体にこだわる必要はないと感じています。
コミュニケーションをする上で一番良いのはFACEtoFACEで接することで、この状態に近付けていける何かを今後も探っていかなければなりません。

直近のイベントでよく話題に上るのは、2019年の「ラグビーワールドカップ」や2020年の「東京オリンピック・パラリンピック」ですが、あくまでもひとつの出来事でしかありません。ただし、それは国民にとっても社員にとっても非常に大きな意味を持つので、我々の役割を意識しながら携わっていきたいですね。業界としても大きなイベントですし、イベントビジネスに携わる若い人たちの夢と希望にもつながると思います。

―ありがとうございました

 

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