日本映像機材レンタル協会 & ピーオーピー合同企画 座談会 <第3弾> 観客を魅了するステージ演出の舞台ウラ(その1)

日本映像機材レンタル協会 & ピーオーピー合同企画 座談会 第3弾


観客を魅了するステージ演出の舞台ウラ(その1)

BtoBを中心としたビジネスの場である展示会と、エンターテインメントの花形であるミュージック・コンサート。来場者層や目的、プログラム内容、演出機材などが異なる両者の共通点はなにか。ミュージック・コンサートの現場から展示会での演出のヒントがないか探るため、モーニング娘。などを擁するハロー!プロジェクトや、浜田省吾さんなどのステージを映像・演出面で支えている、各氏にお集まりいただき、演出方法などについて語っていただいた。

【出席者】 写真左から

川上 二郎 さん ヒビノ(株) ヒビノビジュアルDiv.営業部 2課 担当課長
飯田 寛 さん   TNX(株) 執行役員 クリエイト企画部
東田 高典 さん ヒビノ(株) ヒビノビジュアルDiv.営業部 4課 担当課長

コーディネーター ピーオーピー 中田

音響のヒビノで、
映像を手がける

――みなさまのお仕事についてお聞かせください
東田  ヒビノの営業部4課の担当課長として、主に飯田さんが手がけているハロー!プロジェクトさんのステージを担当し、ライブの現場でオペレーションも行なっています。カメラのスイッチングとか、中継周りの仕事が中心ですね。そのほか、現場のディレクションや、映像機材を選んだり設置したり、素材制作にも関わっています。見積り書をつくったりと、なんでもやっている感じですね。
川上 営業部2課で、コンサートの仕事をしています。いまは多くのお客さまのお仕事をケアするために、現場の技術はスタッフに任せてマネジメントと営業に専念しています。現場でオペレーションはしませんが、お客さまに機材のコーディネートをしたり、カメラのディレクション、素材制作などには携わっています。ライブ以外の仕事はあまりなく、担当のクライアントさんがライブ以外の仕事をするときにお手伝いするくらいですね。
――もともとコンサートなどを担当されていたのですか
川上 いや、僕らは二人とも、最初は展示会や企業の式典などを担当していました。モーターショーやビジネスシヨウなどの現場によく行っていました。ブラウン管マルチビジョンとかを使用していた時期ですね。まだ晴海の東京国際見本市会場でした。
東田 僕らがコンサートをお手伝いするようになった当初は、まだ映像を使うことが少なかったですね。コンサート会場にプロジェクターが使われだしたときに、川上はいち早く導入していました。
――途中でコンサートの部署に異動になったのですか。
東田 当初、ヒビノはコンサートのPAや音響のサービスを提供しており、映像の仕事はしてなかったんです。私たちが入社したのは、ヒビノが社内に映像部門を立ち上げて数年のころでした。
――入社の動機はやはりコンサートの仕事がしたいということでしたか
川上 僕は専門学校で映像・音響の学校で勉強したので、レコーディングエンジニアをやりたいなと思っていました。しかし大阪では仕事が少なく、誰かがやめて欠員が出るのをみんなが待っているという状況でした。それで、新人がその仕事に就くというのはとても難しいと、感じていました。
――映像分野に携わるきっかけは
川上 アルバイトでPAの業務をしながら、いろいろと職を探していました。音響の仕事でヒビノに入ろうと思ったんですが、そのときは映像の部門しか人材募集してなかったんです。「それでもいいや」と思って入社し、今に至ります。
―東田さんはいかがですか
東田 高校のときからバンドをやっていたので、音響の会社としてヒビノの名前は知っていました。その当時まったく違う仕事に就いていたのですが、ヒビノが人員募集をしていると聞いて応募しました。募集の紙には映像と書いてあったんですが、「ヒビノならいいや。興味あるし」と応募したのです。何がどうなるかわかりませんね。

アマチュア時代からのバンド仲間
つんく♂のサポートを

――飯田さんはどのようなお仕事をされているのですか
飯田 つんく♂のアシスタントとして、主に彼がプロデュースするアイドルグループたちのコンサート現場で構成や演出を担当しています。曲順・MCの構成や映像演出など、つんく♂から発信されるイメージや具体的なアイデアなどを元に組み立てたり、また衣装振付MCなど、作品(演目)ごとの狙いや微妙なニュアンスなど、つんく♂の意向を各セクションの担当者やメンバーに届けるコーディネート的な作業をしています。
――つんく♂さんとの出会いは
飯田 24年ほど前です。シャ乱Qがまだアマチュア時代、大阪城公園(大阪城ホールの前)でストリートライブをしていたんです。東京でいうホコ天のような場所、大阪では城天(シロテン)というのですが、そこで僕もバンドをやっていたんです。シャ乱Qとはライブハウスで対バン(共演)したり、一緒にイベントをするような間柄だったんです。
――一緒に東京に出たのですか
飯田 上京もデビューも、タイミング的には僕らのバンドが1年先でした。シャ乱Qは1992年にデビューし、1994年に大ヒットしたんですが、その間に僕らのバンドは解散してしまいました(笑)。その後、私はいくつかのバンドやアーティストのサポートミュージシャンとしての活動を続けながら、タレント「モト冬樹」の付き人として3年間勉強し、また、お笑い芸人としての活動もしていました。
私はつんく♂より2つ歳下だったこともあり、大阪時代から可愛がってもらっていました。そして、当時からのバンド仲間を中心に2000年につんく♂が代表として立ち上げた会社で、今の生活(仕事)がスタートしました。

 

→その2 「リアルと映像が入り交じるモーニング娘。の演出」へ進む

 

JVR座談会アーカイブス

第1弾 ビジュアル空間をつくるプロフェッショナルのシゴト
第2弾 ~プロが語る仕事の舞台ウラ


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